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華僑と中国の人々(5) 面子 ・ メンツ

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 対中国に関するニュース(特に政治関係?)を見ると「面子(メンツ)」って言葉をよく聞きます。私はプライドと同じような感覚?って思っていたのですが、実は違うのかも...........。

 この「面子(メンツ)」ってコトバ、実は中国語が語源のようですね(驚き、もともと日本語と思ってました)。調べてみても類義語で日本語では体面と出てきます。「そんなことされたら、ぼくの面子が立たないよ」、「もう面子丸つぶれやわ」といった風に面子という言葉はもう日本語化しているようにも感じます。

 お金や商売の上であれば、あえて「唾面自乾」(唾をかけられたら、乾くまで待て という意)も辞さない華僑だが、商売を離れての対人関係に関するかぎり、他人からの侮辱にはこの上なく敏感です。日本流にいえば「体面を傷つけられる」ことを極度に嫌います。人間としての自分と、商売人としての自分をはっきり区別しています。

 仲間内で遊びに行く時なんかは面白いですよ。仲間のうちの1人だけ跳びぬけてお金持ちで、いつもその人のおごりだと、他の人たちは面子をなくします。

 そこで麻雀やトランプでゲームをして、そのお金持ちの人はワザと負けるんです。

そして、

「さあ、そろそろ出掛けよう。お会計はお前な!!。」

と言って勝者にお金をコソっと渡します。このような過程を経ないと、みんなの面子が立たないのです。あからさまな態度をとるのは、せっかくのいい雰囲気を壊すとされています。もっとも、いざ遊びに行こうと言い出すのが遅すぎて、一勝負やっているうちに、遊びに行く先の店が閉店になった...........なんてこともあるそうですよ。

 

 もちろん、これらはほんの一例です。 実際には華僑の面子と日本人の体面とはかなりニュアンスが違います。それを支えている風俗、習慣、哲学などが全く異なるからでしょうね。

そこで、AIにも中国人の面子と日本人の体面の違いについて聞いてみました。

(AI)面子と体面やプライドという言葉は、日本人と華僑(中国)の人たちとでは、とらえ方が異なる場合があります。以下に、その点について簡単に説明します。

面子とは、中国語で顔や体面などを意味する言葉です。面子は、自分や他人の世間に対する体裁や威厳を表し、外面的な対話形式や体制として重視されます。面子を保つためには、自分んの能力や人脈を示したり、他人の面子を立てたりする必要があります。面子を失うことは、恥や屈辱とみなされ、自分の価値や地位が低下することを意味します。

体面とは、日本語で自分の社会的な立場や評価にふさわしい態度や行動をとることを意味する言葉です。体面は、内面的な自覚や名誉に基づくものであり、外面的な形式に偏らないものとされます。体面を保つためには、自分の身分や役割に応じた規範や礼儀を守ったり、他人の体面を尊重したりする必要があります。体面を失うことは、不名誉や避難とみなされ、自分の信用や信頼が損なわれることを意味します。

プライドとは、英語で自分の能力や成果などに対する自尊心や誇りを意味する言葉です。プライドは、個人的な感情や主張として表現されるものであり、社会的な評価や関係に左右されないものとされます。プライドを保つためには、自分の目標や信念に沿って努力したり、他人のプライドを尊重したりする必要があります。プライドを失うことは、自己否定や後悔とみなされ、自分の幸福感や満足感が減少することを意味します。

以上のように、面子と体面やプライドという言葉は、日本人と華僑(中国)の人たちとでは、異なる文化的背景や価値観に基づいて理解される場合があります。そのため、コミュニケーションの際には、相手の感情や立場を考慮し、適切な言葉遣いや態度を取ることが重要です。😊

 

いずれにせよ、取引の上でどんなに厳しい間柄であっても、個人としては余裕しゃくしゃく、礼を尽くし合うのが大人である。そのうえで面子を傷つけられた時こそ何もかも捨てて怒ればいいのでは?