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華僑と中国の人々(7) お金がすべて?

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お金にまつわる格言、ことわざ、処世訓の多いのは世界どこへ行っても同じのようですが、なかでも中国には一面金銭に対して否定的なことわざも多いようです。2~3点あげてみると、

「世間満たす宝も、身命に値するもの有るなし(どんな宝であっても、身命にくらべられるものはない)」〈大論〉

「褐を被(キ)て玉を懐く(粗末な服でも、その心は美しい)」〈老子〉

這是一班人罵商界中只知金銭不知道徳和学問的話也可叫『市肆小人』(商業に夢中で、ただ金銭だけのことを知っており、道徳と学問を知らない者は市井の小人だと言われる)」

そうかと思うと、

「富は、足るを知るに在り」(税苑)

というのもある。

「富」という字は「(イエ)」に「一口(ヒトリ)で「田」を持つということである。欲しい、欲しいと金銭に執着するのは乞食根性というもので、たとえ権力者・富豪であっても乞食の真似をしているようなものである。無欲なのがイチバン。

「足るを知れば、これ仙境」と、さとしてもいる。

人間の欲望というものは、いくらでもエスカレートしていくものです。今まで、これだけは欲しいと唯一の目標にしていたものでも、それを得てしまうと、また新しい別のものが欲しくなってどこまでいってもキリがありません。

結局、金銭万能を唱えながらも、いや、それゆえにこそ、金銭のむなしさをも熟知しているのが華僑といえるのでしょう。

 プロ野球 福岡ソフトバンクホークス会長の王貞治氏(父、仕福(シフク)さんは浙江省青田県四都出身)は、一部の華僑の間違った概念に反発するかのようにシーズンオフの契約更改の際は一度も球団ともめることはなかったそうです。

 また宝塚歌劇団の元星組トップスターでミュージカル女優の鳳蘭さんも、条件の交渉がきれいだと評判が高い。

中途半端にお金があると、人間の持つ醜さを垣間見てしまう。

「富貴には他人集まり、貧賤には親戚も離る」というふうに。

 事業を運営する自己拡大の手段のため、社会への貢献、後世に残る仕事のためにのみ、金銭の価値は生じてくるのでしょうか?。

 

 AIさんともさっきまで色々、華僑の人たちのお金にまつわるエピソードなどについて話していましたが、華僑の人たちは、ただ単にお金を稼ぐだけではなく、お金をどのように稼ぎ、どのように使うかという哲学的というか道徳的な一面もしっかり重視しているんだなということが垣間見えました。

 私がお金を使うときや、仕事をするとき、私はそこまで考えて行動できているのかな?と考えるとはっきり言ってクエスチョンマークがつきました。それと同時に生活の中の伝承としてお金の稼ぎ方、使い方を学べて習慣にすることができるって大変すばらしい環境だな~と思いました。またうらやましさも感じました。