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華僑と中国の人々(9) 隣で同じ商売?

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 隣の家でも向かいの家でも、その家の商売が「これはウマい」、と思ったら、遠慮しないでどんどん真似すべきと思います。終戦直後の横浜・中華街では、軒並み靴屋さんになったこともあれば、ズラリと洋服の生地屋さんに一変した時期もありました。

 日本人なら「俺の場所の近くで、何の挨拶もなしで同じものを売るなんてひどいじゃないか。」と喧嘩になりかねませんね。いまはつながりが希薄になってきたからか、Aのお店の前の信号を渡ったら、Aと同じ形態のBというお店ができたということもよく聞きますが.......(笑)

 華僑の人たちは違います。それは、そんなことにいちいち気を使っていたらお金儲けなんてできない、ということもありますが、他人の資本で、他人の店で、他人が商いをすることには没関係(メイクワンシー・全然関係ない)と割り切っているのです。それだけ自分の商売に自信がある、ともいえるのでしょう。それのみか、隣へお祝いを持っていきます。中年の華僑の人に聞くと、

「隣と私の家では、客ダネもちがうし、売り方が異なっている。だから隣に負けない品を安く仕入れて、ウンと安く売れば負けることないヨ。」

という答えが返ってきます。

 ただし、華僑は同族、身内、朋友(ポンヨウ・友人)が近くに開店する場合は、近似はしていても、どこか違う商品にします。もっとも、二間並べてもイケるとなれば、支店とか別館などということにして同じ商品を売ります。これは当然のことでしょう。

 他人の商売を認めているという点は徹底していて、南京豆売り、街頭靴磨きから豪華大飯店の経営者にいたるまで、

「東西(トンシー・品物)もしくはサービスを売って金儲けしている点ではまったく同次元だ。」

という思想があります。まさに、商いの道に貴賎なし.....と身にしみている彼らです。

 香港では、乞食でもただ頭を下げているだけではありません。犬を伴って芸を披露したり、青空楽団バンドを組んで歌ったりします。そして、寸志を施した人とそうでない人との間に差をつけるため、お金を恵んでくれた人には、「さあ、どうぞ」とばかり最前列へ導き、どこからかお酒の空き箱を運んできて座ってもらいます。

 昔は小学校まえの子供の乞食はというと、カーフェリーの乗り場などに待機していて、タクシーが来ると声を上げて飛びつき、客席のドアをパッと開けます。そして、手をつき出し、チップを要求します。あまりのうるささに嫌気がさして知らん顔をしても、広東語でワンワンやりながら取りすがり、小金をねだるという具合です。もちろん、タクシーの運転手も文句を言いません。他人の商売を認めているのです。

 結局、何をするかは本人次第で、同じ商売が並ぼうが、なんてことないんですよね。

 この話をして私がどうしても付け加えたかったのが、東京の秋葉原・大阪の日本橋の電気屋街です。いまでこそアニメなどのカルチャー系やマニアックなものの街というイメージがありますが、ひと昔前は電気屋さんばかりの街でした。私もよく大阪日本橋の方に行ってましたが、お店同士サービスや品揃え、値段など切磋琢磨するので、ここへ行けばだいたい揃うし値段も納得します。そういうのが評判になってまたお客さんが集まってきたんですよね。

 東京の御徒町や大阪の南船場へ行けば宝石屋がたくさんあるよ.......など昔は同じ業種が集まっている街へ行けば活気があったように思います。今はそれもいろいろな業種が入ってきて色も薄れてきているような…...。

 けど今は今で時代とともに色が変わっても、それなりに楽しい場所になっていくんでしょうね。