中華料理店の子どもだから料理関係の仕事に進ませるとは限りません。その子の才能、資質を見極めてから進路を親が助言し、そして最終的には子どもに決めさせます。
「五師」といって医師、教師、弁護士、会計士、建築師への道は、”頭”と”学”さえあれば進める道であり、なおかつその華僑の居住区によっては富豪へのパスポートであることは周知されていることです。。
「会計士」は税理士、経営コンサルタントなどを、「建築士」は設計士、「医師」は獣医、医学評論家なども含まれています。
ある華僑の方も、
「四海一家、世界は一つで、これからの若者の進む道としては、この五師の道こそが指導者になる道だ。」
と、いつも言っておられます。
しかし、一家の子ども全員を五師の道に進ませることはしません。いくら財産があっても、料理店の後を継がせると決めると、学業は高校程度でやめさせ、早めに他店へ修行に出すか、自分の店で仕込みます。
これを「ここの大学」「うちの大学」と言います。
「息子さんはどうされるんですか?どちらの大学へ行かれるんですか?」
と聞くと、
「なあに、”ここの大学”に来ましたよ”」
って答えます(笑)。
相手が日本人なら、一瞬戸惑いますよね。”うちの大学”ーつまり、自分の手元に置き、将来、親が死んでも困らないだけの技術と商いとを教育するというわけです。
華僑の人々は、事情さえ許せば、子どもは出来るだけ多くつくりますが、この子どもたちを多岐・多様に進ませます。それも意図的に。
進学にしても、一人は中国系の学校、一人はアメリカンスクール、一人は日本の学校といったぐあいに、あらゆる可能性を残しておくケースも少なくありません。
留学や就職にしてもアメリカ、シンガポール、香港へ行った兄弟の一人が中国大陸へも行っているといった具合に、目先の事よりもずっと先を見通しています。
日本人から見るとある種の保険をかけているようにも見えます。競馬で言えば本命馬、対抗馬のほかにいろいろな穴まで買っているようにも見えようが......(たとえが...ゴメンナサイ)
この考え方って、家族の中で華僑や先祖代々の考えが浸透していて、そのうえ家族のきずながしっかり固まっていないと成立しないですよね。
だから一時的に、子ども同士の思想や考え方に差異はあっても黙って見守っているのです。
少子化になってきている世の中、こういった考えもだんだんかけ離れていくかもしれませんね。