お酒大好きな私にとっては、痛いタイトルです(笑)
「君子自重小便遠行(チュンズチュンシャオビエンイユワンシン)」、~ここで小便をするな!~
という意です。
君子は自重しなければいけません。泥酔したり、酔いすぎの戯れによる行為を許してはくれないからです。
日本に長いこといるある華僑の人が、半分皮肉交じりにつぶやきました。
「本当に日本人はうらやましいですネ。大きなことを言ったあげく仲間と殴り合いになったり、裸踊りをしてふざけたり、立小便をしてお店の看板を担いでいっても、翌日あやまれば済んでしまいます。ときには”あいつ面白いやつだね”だなんて.....。私も一度でいいからあんなに酔ってみたいです。」
華僑の世界では、酒を飲んでとった行為は、ふつう、いやそれ以上に責任を問われ、人格にまでかかわるくらい大きなことになる時があります。仕事でも後々の取引にも影響があるのは言うまでもありません。”君子”かどうかを問われるのがいちばん痛いようです。
孔子も「論語・興党篇」の中で、
「酒は量なし、乱に及ばず」
と言っています。酒を飲むのに、ここまではいいというような分量は決まっていませんが、乱れるまで飲んではいけないよという意です。同様に、「酒と朝寝は貧乏への近道」「酒が作った友は、その酒のように一夜限りである」という言葉もあります。
宴会にしても懇親パーティにしても、お酒の席が無節操な”無礼講”になってしまっては興ざめになるばかりか、目的意識と効果を失ってしまいます。
そのために華僑の人たちは二次会や三次会を好みません。しかし、宴会の席では愛想よくしゃべり、お酒をすすめます。いちいち相手の名を呼び、盃をささげて一気に飲み干し、盃の中身を見せ合います。これを体面の人から始めて一巡し、また最前の人にもどるので、飲み干すことができなければ、初めからその旨を告げておかなければならないほどです。
中国のビジネスでは相手との距離を縮めるためや、相手の力量を確かめるために酒席は欠かせないというイメージがあるのですが、こういった戒めも根付いているのですね。
法華経の有名な文句にも「はじめは人酒を飲み、次に酒酒を飲み、後には酒人を呑む」というものがあります。
お酒がはいれば知恵が逃げ出し、分別がつかなくなってしまいます。交渉がうまくいった日に祝い酒、逆にまったくダメだった夜にヤケ酒、という気持ちはわからなくはありません。しかし、ここで足を踏み外してはいけません。正体をなくすまでお酒の力を借りるようでは見込みがないと言わざるを得ません。
自分もこれを書きながら、改めて自分に戒めを.....(笑)
今日も最後までお付き合いいただき、
ありがとうございます。