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華僑と中国の人々(17) 現金を手にするまでは?

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 華僑にとっては、「取引」とはすべての受け渡しの完了をもって、はじめて完結するとの信条を守り続けています。それをキモに銘じさせることになった大本は、彼ら華僑一流の猜疑心があります。合理主義、今日主義、現実主義、現金主義、これらはすべてそこから発展したともいえるでしょう。

「単身廟(ビョウ)に這入(ハイ)るな。二人で一緒に井戸をのぞくな」

というものがあります。これはどういうことかといいますと、ひとりで廟(みたまや。やしろ)にはいると、そこにはお坊さんが待ち構えていて、殺しにかかるかもわからない。二人で井戸をのぞこうとする。このとき、どちらかがお金を貸しているとか、ひとりがたいへん高価なものを持っていて、もうひとりがそれを欲しがっているとしたらどうなるか。ここぞチャンスとばかり、背中を押され、井戸につき落とされる可能性があるーというのです。

 このように「ゆめゆめ、他人を簡単に信じたらいけないよ」と、幼いときから戒められてきたといいます。これまた昔の話ですが、旅館や料理屋で、ボーイにお勘定を払ってそこを出ようとすると、受け取ったボーイは勘定書きの明細を大声で読み上げたといいます。これは、ほかのボーイ仲間に、チップをゴマ化していないと公言するためだったそうです。

 いずれにせよ、取引というものは、最後の最後まで分からないものです。トランプゲームのように手から離すときは、たえず出すのに都合のいいカードから出していき、ゲーム終結までは、決して気をゆるめてはならないのです。

 あなた自身にしたところで生身の人間です。一瞬あとには何が起こるかわかったものではありません。病気、交通事故、火災、地震.....。危険は身のまわりいたるところに潜んでいます。

 おおかたの華僑に人たちは、「株」にあまり関心をもちません。そのわけを尋ねますと、

「株券なんかただの紙切れにすぎないよ。」

「見たこともない人間が経営している会社に大切なお金は預けられないよ!!」

とサンザンでした。この「株」にしても、いくら株価が上がってそれを売って現金を手にしなければ”完結”したことにはなりません。

 自分の方がお金を出すときにも軽率な人間がいます。小売商店に行って、値段も聞かずに大きいお札を出したり、釣銭を忘れて帰ったり、ひどいのになると、釣銭を受け取ったはいいが、肝心の品物を置いたまま出てしまったり.....。笑い事ではすまされません。

 現金の重みを知っている華僑の人たちは、決してこんなヘマはやらないでしょう。こんなヘマをするようでは、「取引」をすることもこわくて仕方ないですね。

 

今日もお付き合いいただき、

ありがとうございました。

感謝感謝。