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華僑と中国の人々(18) だまされたことは口外しない?

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 人間、小さなことや勘違いだったとしても、だまされた経験のない人はまずいないでしょう。もし、いるとすれば、よほど小さい子か人とのつながりがない人、よほど神さまのように見透かしのきく人、そうでなければ人間味にかけた冷たい人でしょう。ですが、よくよく考えてみたら、だまされる時点においては、たいてい被害者の方に弱みがあり、欲の心が動いているもので、そこをついて敵は攻めてきます。

 華僑の人たちであっても、だまされて精神的、経済的損失をこうむれば、怒り心頭になるのも人というものです。ましてや、ついでに面子(メンツ)までつぶされることも少なくありません。

 姿をくらませた相手や居留守を使う敵を懸命に探し出そうとしたり、捕まえたら損害を賠償しろと強く要求する、これまた当たり前のことです。

 しかし、ここからが違うのです。

 華僑の人たちは何度話してもラチがあかないとわかったら、そこでアッサリと手を引いてしまうのです。そして以後いっさい文句を言いません。日本の人たちであれば迷惑をかけた相手を知る人、知らない人の区別なく折りがあれば愚痴をこぼすところですが、華僑の人たちは、

「ハイ、もうこの話は終わりネ」

と、側近に告げたら最後、二度と、人前でこの話題は出しません。

「閒段莫説人非(シエンタンモースウオレンフエイ)」(雑談で人の悪口を肴にするなかれ)

というわけです。事実はどうあれ、そんな繰り言をいつまでも口外するようでは、器を小さく見られ、人格が疑われることになるのです。

  ある華僑の人が、訳はわからないが、仲間の華僑の大勢に金銭的な迷惑をかけて失踪してしまいました。被害者はかなりいるはずなのに、

「オレはいくらやられた」

という人が一人もいません。

もし、それを口にすれば、その件を知らなかった人まで、

「あの人はマンマとだまされるほどバカだったんだ。」

「やっぱり、普段はうまいこと言って、実は欲深いんだな~。」

と、悪い意味でイメージを変えてしまうでしょう。むしろ、ここで想像できることは、このまま行方不明になった人が何年か経ってまた舞い戻り、しかるべき人が中に入って、

「どうも長い間、ご迷惑をおかけしてすみませんでした。」

と、皆に頭を下げて、借金に利子分なども加えて返済したとすれば、この人への信用は前と同じようになります。そして皆が言うでしょう。

「あの人も、あの時は本当に困っていたんだな。ひとこと言ってくれればよかったのに!。」

これが、華僑の仁義です。

 

いかがでしたでしょうか?

今日もお付き合いいただきありがとうございました。

感謝感謝。