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華僑と中国の人々(22) 数字にうとくなるな?

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 私が子供の頃はそろばん教室へ通っている子が多く、私もそろばん教室に通っていたうちの1人です。そのおかげで、いま、そこまで数字が苦手ということはありません。また、最近そろばんが見直されてきて、徐々に増えてきているようですね。

 しかし、時々、数字にうといということを見栄みたいにする日本人がいます。些細なことを気にしないという雰囲気を醸し出しているつもりか。いずれにせよ、華僑なら、こんな人間を見たら吹き出してしまいます。数字にうとくて、どうして財を成すことができましょう。

 さきごろ、日本語をまったく知らない、二十歳になる香港の娘さんが、血縁の関係で横浜にやってきました。が、なんと、着いたその日から、中華街の大通りにある中国菓子店で働いていました。雑用ではなくお菓子を売っているのです。聞いてみると、なにはともあれ日本語の一、二、三から億まで数詞と貨幣の種類を一時間ばかりで吞み込んでしまったといいます。そして、その日の売上に一円の狂いもなかったのです。

 零細資本で始める雑貨屋、ガラクタ屋の店員は、マッチ箱にはいっているマッチ棒の数まで正確に告げることができますし、ふぞろいなビニール入りの椎茸でも、ひとつひとつの値段をとっさに計算し、さらに頭の中では、

「これらの利益は〇〇。」

と、細かいところまでの計算までしているのです。

「そんなこと、小学生でもできるヨ。」

と笑います。海外旅行に出て、その国の貨幣単位が呑みこめず、

「この中から取ってよ。」

とばかり手真似で、掌いっぱいに硬貨をのせて差しだす日本人にとっては驚異的と言えるでしょう。

 数詞を覚えこむということは、節倹の精神にも通じます。利用できるものは徹底的に利用するのが中国方式です。たとえば、お茶を飲むとき、茶碗にこびりついたお茶の葉でも、もう一度茶瓶に返して一緒にわかします。

 欲望をできるだけ抑え、無駄をなくし、あらゆるものの力を集結して一時に最大限に使うことが、中国の人たちの経済生活の根本です。野球でいえばキャッチボールのように、ごく初歩的な基本なのです。

 数字に明るい点は、三千年も前に分数やゼロコンマ以下の数字を発見したことでもわかります。また、どんなことでもメモをとることを怠りません。

 日本の勉強は、ともすると実践を離れ、机上だけの理論、観念論に走るきらいがありるように思います。理屈どおりで財ができるのなら、経済学者などという人たちは、みんな富豪になっていると思うのですが......。

 各国の数詞に強くなる、ということぐらいは、将来、最低の条件でしょう。

今日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

感謝感謝

 

Mirable zero