中国には昔から商家での格言に「親兄弟明算帳(チンシュンテイミンスワンチャン)」があります。この「親」は実兄弟の意味で「算帳」とは帳尻。ホントの兄弟の間でも貸し借りの明細はハッキリさせよということです。
商いの道は戦いであり、ここで一銭、一文たりとも納得のいかない点があってはこれからの士気に影響を及ぼします。いちど負け犬になってしまうと、何事にも気力がなく、負け癖がついてしまいます。商いというものを神聖化しているわけで、例外があってはならないとしています。「買売論分(マイマイルンフン)」(売買は分を論ぜよ)ともいって、一般に買ったり売ったりの場合は、分(いちばん低い貨幣単位)を大いに論じ合わなければなりません。
「これ売買の常道ネ。」
どんな華僑も、ニコリともせずに言います。「アタリマエノコトイワナイヨ」である。ケチとかうるさいというのは、まったくあたりません。ここに合理精神の華を見出すのです。
人間、なにがむずかしいといって、情にからんだものと利害関係とをうまくさばくことほどやりにくいことはありません。まして、血族やごく親しい人との貸借関係は、いったんこじれると、尾を引いてしまい、感情問題にまで発展し、幾何学的にイヤな思いをすることになります。
この点をはじめから割り切っていかなくてはなりません。まあまあ主義や、思い入れはどうかすると害の方が多いのです。中でも、兄弟や子ども、甥や姪など、身内での目下の人へはケジメをつけておいた方が、本人の将来に利があるとするのが中国人の発想です。
とくに子どもには、小さい時からお金のありがたさと、その運用のむずかしさを実地に教育します。
幼い兄弟の間でお金の貸し借りをしても、利子をとりたてることは当然の事とされます。親は、もちろん、子どもに必要以上のお金は与えないですし、お金を貸せば利子をとります。こうして華僑の人たちは子どもの時から、お金の貸し借りには利子がつきものという経済の根本原理を身をもって学ぶのです。「借りたら利子を払う」は、子どもの世界でも「コレアタリマエノコト」なのです。
まだ親がかりの子が、なにかのコネで珍しい品を入手して「これ売りたいから」と親の店の片隅を借りたにしても、その場所代を徴収されるのも、また当然とされます。もっとも朋友(ポンヨウ・親友)にお金を貸すときは無利子です。わが子から利子を取るのは、あくまで商道を教えるためです。
このほか、子どもの鍛え方の一種には、たとえばお金を与えて近所のお店にお使いに出すとします。子どもといえども、定価通りすんなり買ってくるようでは先の見込みはありません。子どももさる者、店で品物をかきまわし、ちょっとでも欠点のあるものを選び出して、「講価(チャンチア)」にうつります。減価(チェンチア・負けろ)してくれるよう「講」ずるわけで、値切った分は子どもの「利益」になります。お駄賃をはじめから決めていないだけに腕の見せどころとなります。万事がこの調子です。
お金のこととなったら、やはり厳しくならないといけないですね。
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