華僑といえば、お金儲けの一点張りのバリバリの金の亡者を連想しがちですが、それは間違いです。華僑とて人の子、ギャンブルや女遊びが嫌いなわけではありません。快楽を追うことのしつこさにかけては、むしろ日本人よりも一枚上手だと言ってもいいでしょう。
しかし、「遊び」に対する接し方が日本人とはまるで違います。分相応に遊び、決して溺れることはありません。
「われわれにとっては、親孝行、一族への忠誠がなによりも先立つので、親兄弟を悲しませるようなことはできないです。なので、ギャンブルも自分の経済力の範囲内での遊び。それ以上でも以下でもありません。」
と、日本生まれの華僑二世の方がおっしゃってました。
華僑とギャンブルといえば、なんといっても麻雀!。南京街の昼下がり、途方もなく大きな牌を旗袍(チーパオ・女性の中国服)姿もまじってジャラジャラかき回している光景は見ものです。しかも戸外でです。
彼らは、麻雀道は商道に通じるとよく言います。商機をつかむ参考になるらしいのです。相手の手の内を読み取り、つまり、大勢の状況判断により、何を捨てるか、勝負に出るかどうか、一瞬のうちに断行します。社会の荒波にもまれたとき、免疫性のない者ほど危なっかしいです。四人で宅を囲むことによって、切ったはったの修羅場を人工的に作り出し、そこで”理性”を鍛えるというわけです。
ところで、華僑の麻雀のメンバーに若い人はまず見当たりません。というのも、若い人、二世、経済力のない人の麻雀は、華僑世界では認められていないからです。どんなに大きい店の後継者であろうと親がかりのうちは、金のかかるギャンブルを周りで許さない雰囲気があります。なので二世陣や独立した店を持たない番頭以下の人たちは、同郷会館に備え付けのビリヤードや卓球、将棋などでウサを晴らします。独立の遅かった店主などは「ビリヤードの専家(名人芸)になったよ。」と苦笑いしているほどです。
結局のところ、ギャンブルは財力的にも余力を持ってやらなければ、勝てもしないし楽しくもないということを、彼らは熟知しているのです。ギャンブルはあくまでも”理性”を鍛えるための遊び、それで身をもち崩したり、自分の身を棒に振るなどはまず起こりえない話なのです。
理性を鍛えるってことは、”鍛える”って言葉を使うくらいなので、思っている以上の精神力が必要なんでしょうね。
今日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
また、最近「華僑と中国の人々」シリーズもたくさんの★★★いただいてます。
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